A氏と行ってきましたよ、code kurkku。イタリアンレストランに隣接してMUSIC BARがあって、そこではTANNOYWESTMINSTER ROYALがどーんと設置され、LP12が2台という贅沢なセットで音楽が楽しめます。DJの方に話を聞くと、一関のベイシーをはじめ各地のジャズ喫茶や音楽バーを訪れて、アドバイスを受けたとのこと。壁一面のレコードは今回のオープンのために買い付けたもので、まだまだ増殖予定というから楽しみです。で、このお店でA氏と話していて思ったこと。

最近まで、オーディオとは音楽を聴く趣味だと思っていた。世の中には、「見える」ような音を目指している人もいるし、手で「触る」ような感触を大事にする人もいる。「味わう」ように音楽を楽しんでいる人はしあわせである。かつてベイシーの菅原さんは、音楽は「嗅ぐ」ものだと悟ったらしいけど…。

しかしこのところ、「自分」と「音楽」、主体と客体。これが分離しているあいだは、オーディオもまだまだという気がしてきた。自分と音楽が一体となるような、自分が消えて、ただ音楽だけが鳴っているような。そんな境地が存在するのかしないのか。

JBLがこのSPにOLYMPUSという名前をつけたのは、そんな至福の状態を提供したいという願い(自信?)からだったのではないだろうか。しかし、せっかく「神々が住む山」まで到達したのに、エヴェレストとかK2とか、人間世界の山まで降りて来てしまったのはどういうわけか?